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現代の研究開発で実験ノートは必要か?

 小保方さんの実験ノートはたった2冊だった?

 STAP細胞をめぐる論文の不正問題について、小保方さんの実験ノートは日付も詳細もなく研究の過程を裏付ける証拠にならなかったというニュースがありました。これについて、ノーベル賞受賞者の山中教授は次のように語っています。

京都大学山中伸弥教授:「研究不正を予防する一つの重要な方法は、日ごろの研究記録をきちっと残すことだと思います。そのためには、ノートの記録が非常に単純なことでありますが、大切です。ノートのチェックを徹底させる。本当に私たちもチェックしています。僕たちは(ノートを)出さない人は、『不正をしていると見なします』と言明しています」

 なんと、実験ノートを提出しない人は、「不正をしていると見なす」らしいです。これは、大変なことになったと思いました。なぜならば、現実問題として実験ノートを明確につけている研究者は大変少ないからです。

2006 年 11 月に実施された日本の大学・国立研究機関に対するアンケート調査の結果 (14) によると,ラボノートの使用を義務付ける又は推奨する規程を設けているのはわずか 4%であり,そのような規程を設けることをこの時点で検討している機関も 29%にとどまっていた。

   このように実態が伴っていないのに、手書きの実験ノートだけを神聖視することには問題が多いように思われます。そもそも、世の中の研究者が実験ノートの作成について積極的でないのには、それなりの理由があるはずなのです。

 

実験ノートとは?

 ここで、実験ノートとは、どのようなものを示すのでしょうか?Wikipediaによると、下記のような記載があります。

 一般的に、実験ノートに求められる性質としては、下記のことがある。

  1. 実験の再現等のために、必要な事柄が全て正確に書かれていること(網羅性)
  2. 必要なときに必要な情報が速やかかつ正確に読みだせること(検索性)
  3. 折を見て見返すことが出来ること(保存性)
  4. 記録する行為が、思考や実験を妨げないこと(書きやすさ)
  5. 証拠としての価値があること(実証性)
  6. データの特徴、研究計画とのずれ等の、研究の状況が一目でわかること(視認性)
  7. 実験中の判断、データの処理などの思考を助けること(ワーキングメモリとしての機能)

ファイル:Lab notebook for A Test of the Coordinated Expression Hypothesis for the Origin and Maintenance of the GAL Cluster in Yeast.pdf

  すなわち、実験ノートとは、実験内容を正確に記録することと、実験内容を後から証明することがもっとも重要な機能であるといえるでしょう。また、知的財産に関しては、発明者や発明の日を証明するために実験ノートが用いられることもあります。

 しかし、このような実験ノートを書かないからといって、実験で不正をしているとみなされるほどの大きな罪になるのでしょうか?昨今は、実験データもすべて電子的に記録されることが多いでしょう。実験に関する考察でさえ、自分の思考の助けとなる落書き以外の文章化された記載は直接コンピュータに打ち込まれることが多いのではないでしょうか?

 

そもそも実験ノートが重要だった理由

  実は、実験ノートは現在よりも過去の方がより重要な意味を持っていました。それは、米国の特許法が先発明主義と呼ばれる制度だった頃、米国で行った特許出願が最も早く発明した者が権利を取得できるという法律があったからです。このため、実験ノートに正確な記載をしていることは、米国で特許を取得しやすくなることを意味しており、更には米国の特許を取得しているかどうかで、数億円から数百億円以上にも上る米国の特許訴訟の賠償金を払うか払わないかといったことが左右されていたからです。

 このような特許訴訟上における意味を持たせるためには、実験ノートは所定の形式で作成されている必要性がありました。ラボノートの内容が本当に、記載されいる日付に作成されたことを証明するために、ルーズリーフなどではなく製本されたノートを使用することや、後から書き換えできないようにボールペンで記載されていることが必要であったり、余白には斜め線を引いておくことが必要でした。更には、定期的に利害関係のない第三者が内容を理解した上でサインをすることなども必要とされていたのです。このような要件をすべて満たすラボノートの作成は非常に煩雑な手続きを要するため、研究者にとって負担が大きいものであったことが容易に想像できます。

 しかし、それだけの手間をかけてでも、米国の特許訴訟で数百億円の勝ち負けが決まるとしたら、手間をかけすぎても十分とはいえないでしょう。ところが、2013年3月16日から米国でも先願主義の改正法が施行され、実験ノートは、知的財産法の観点から従来ほど重要性を持たないことになりました。このような背景を踏まえ、従来の実験ノートの必要性を再考する余地はあるように思えます。

 

新しい形の実験ノート

 コンピュータが発達する前は、研究者はすべての実験結果を実験ノートに記載していたに違いありません。このため、実験ノートにすべての実験に関するデータがひとまとめになっており、実験ノートで実験や研究の進捗を調べることが最も効率的であったと予想されます。

 ところが、昨今はほとんどすべての実験に関するデータがコンピュータから記録されます。このため、実験の生データも、実験データを可視化したグラフもすべてがコンピュータ上にある事のほうが普通なのです。このような状況で、実験ノートを作成しようと思えば、コンピュータ上にある実験データや考察の資料をわざわざ実験ノートに書き写す、あるいは、実験ノートにメモしたデータをわざわざコンピュータに打ち込むという二度手間が生じてしまい、ただでさえ忙しい研究活動がさらに非効率的になることが否めません。

 

 このような環境の中、昨今では電子的な実験ノートを利用する人も増えてきています。HULINKSという会社はChemBioDraw/ChemDrawという、電子実験ノートを販売しています。

HULINKS | ChemBioOffice ツール | ChemBioDraw/ChemDraw

 また、このような本格的な電子実験ノート ソフトウェアを使用しなくても、MicrosoftのOfficeやその他汎用ソフトウェアを使用して実験のデータや進捗、考察をまとめる研究者も多いと思われます。

 

実験ノートの本質を考えて、必要性を議論すべき

 実験ノートの意義をもう一度見直すと、上述した実験ノートの性質(網羅性、検索性、保存性、書きやすさ、実証性、視認性、ワーキングメモリとしての機能)のほとんどの項目について手書きの実験ノートよりも電子実験ノートのほうが有利であることに気がつくはずです。更に言うならば、実験ノートという形を取るかどうかすら、考察する必要があるでしょう。

 もし、ほとんどの実験データがエクセルにエクスポートされるならば、そのエクセルファイルの目につく場所にメモのように考察を記載してもよいし、実験データを置いておくフォルダにNotepadでメモを残しておくことも有益かもしれません。

 コンピュータで作成したデータならば、上書きしない限り作成日時が記録されますし、データベースを差分バックアップ等することにより、上書きされるような環境においても、作成日を明確に記憶することが可能です。

 研究開発プロセスや記録したデータの再利用プロセスを考察すると、実験ノートを書くこと、特に、紙媒体のノートベースで実験を管理することには大きな非効率性が潜んでいるように思えてなりません。